信濃国諏訪郡大塚之碑
この碑の碑文は次の通りである。
碑之塚大郡訪諏國濃信 |
大塚の碑に刻まれている要旨は次の通り。
信濃の国永明村塚原の里に古い大きな塚がある。南にあるものは大塚、西北にあるものは姥塚(うばづか)東にあるものは王經塚にて大石で築かれている。 大塚は最も大きい。これは建御名方命(たてみなかたのみこと)の子、出速雄命(いずはやのみこと)十八代後の孫、健隈照の命に子が有り、五百足(むかで)、その妻兄弟部(おとべ)の子、五百足(むかで)親子の古墳である。 明治二十四年里人(むらびと)が大きい平らの石を見つける。その下に槨(ひつぎ)有り。中に剣(つるぎ)、鐙(あぶみ)、鏃(やじり)、鐙鍔(あぶみつば)金環、勾玉(まがたま)等数十種、考古者は1500年から1600年前のものであろうと里人、石に文字を伝えることにした。余(よ)は信州人であるのでこの銘をつくつた。 八嵩(はっこう)の山《八ヶ岳》、鵞湖(がこ)の水《諏訪湖》の水、英霊は不滅長く幸せを守ってくれることを。 明治二十五年五月 大 蔵 次 官 従四位勲三等 渡邊國武撰 [撰(せん)とは、詩文をつくる意] 貴族院議員 従四位勲三等 金井之恭書 【参考】 ●碑の上の横に書いてある文字は篆額(てんがく)と云う。〔篆額体(てんがくたい)の文字 は中国『周時代』のもの〕 ●篆額(てんがく)に書いてある文は次の通り。『碑之塚大郡訪諏國濃信』←右から読む。 ●陸軍少将大勲位 能久親王(のりひさしんのう)〔皇子とその兄弟を親王と云う〕が篆額 を執筆した。 |